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一度は行きたい 本郷周辺の歴史スポット5選!

  • 2021.01.19
  • 2022.09.01

本郷には興味深い史跡や神社があちこちに!

神社やお寺が密集している地域は日本に数多くありますが、ここ本郷もそのうちの1つです。この街は武家屋敷が多く並んでいたという歴史的背景から、将軍家に縁がある由緒正しいものが多く集まっています。夏目漱石や森鴎外、樋口一葉などの文化人が愛してきたこの街の歴史を巡るため、是非訪れてほしい5つの史跡をまとめました。

①旧加賀屋敷御守殿門

東京大学の赤門と言った方が馴染みがある方も多いのではないでしょうか。文政10(1827)年、加賀藩第13第藩主である前田斉泰が、11代将軍徳川家斉の娘を正室(せいしつ:高貴な人物の妻)に迎えた際に建立されました。

東京大学本郷キャンパスの地は、もともと加賀藩の下屋敷(国元からの荷物を揚げるために水辺に造られる屋敷。その他に、隠居や世継ぎが生活する中屋敷、藩主やその妻子が生活する上屋敷がある)でしたが、天和3(1863)年には上屋敷に改められ、名を本郷邸としています。江戸時代、一定の身分以上の大名が将軍家から正妻を迎える際には、屋敷の奥に居室を設け御守殿と称す風習があり、その御守殿へと続く道に朱塗りの赤門を建てたのです。これを御守殿門と呼びます。
屋敷の表には「黒門」が建てられる
御守殿が建てられるのは、屋敷の中でも奥。つまり、屋敷の入り口からは最も遠いところにあるので、御守殿門は裏門にも当たります。では、表門はどのように建てられるのでしょうか? 表に造られたのは黒色の門です。

加賀屋敷御守殿門は都内で現存する唯一の赤門ですが、同じく唯一残っている黒門は、旧因州池田藩の上屋敷に建てられたもの。両者はしばしば対比されます。この黒門があるのは上野の国立博物館の敷地内、赤門とも非常に近いところにあります。

旧加賀屋敷御守殿門

②金刀比羅宮 東京分社

文政2(1819)年、板橋市左衛門という人物が自身の屋敷に香川に鎮座する讃岐金刀比羅宮を勧請(かんじょう:神仏の来臨を願うこと)したことが始まりとされます。公認の神社となったのは明治13(1880)年になってからのことで、以来神田、深川と遷座しています。

しかし、昭和20(1945)年、第2次世界大戦の戦火によって消失。讃岐高松藩の屋敷内に祀られていた水道橋金刀比羅神社と合祀し、昭和39(1964)年に現在の地で再興を果たしました。

御祭神である大物主神(オオモノヌシノカミ)は「神々の中で最も偉大な力を持つ神」という意味があり、海陸安穏・五穀豊穣・万民泰平といった壮大なご利益があります。
金刀比羅宮 本宮について
東京分社をご紹介したので、ここで本宮についても触れておきましょう。
金刀比羅宮を参拝する、通称「こんぴら参り」が全国に広まったのは江戸時代の頃。当時庶民が旅行に出かけることは禁じられていたのですが、寺社へ参拝することはその限りではありません。そのため伊勢神宮や金比羅宮(金比羅山)への参詣の旅は、庶民のあこがれでした。

香川県仲多度郡琴平町にある金刀比羅宮の本宮は象頭山という山の中腹にあるため、「参る」ではなく「登る」という表現を使います。そう、お土産屋や飲食店が並ぶ表参道から本宮までは785段の石段を登らなければならず、その奥の社殿はさらに1,368段も登らなければならなりません。
広大な境内にはたくさんの参拝スポットがあるので、絶景と併せて一生の思い出にするために訪れてみてはいかがでしょうか。

金刀比羅宮 東京分社

③櫻木神社

長禄元(1457)年、現在の皇居の地に江戸城を築城した太田道灌が、京都の北野天満宮に祀られていた菅原道真を、江戸城の敷地内に勧請(かんじょう:神仏の来臨を願うこと)したことが由緒と言われています。文明年間(1469~1487年)のことでした。祀られている菅原道真は学問の神として有名で、ドラマ「ドラゴン桜」にも登場しています。北野天満宮は、平安時代の中期である天暦元(947)年に創建された神社であり、日本全国に約12万社ある天満宮の総本社です。

櫻木神社は、2代将軍徳川秀忠の時代に湯島の地(現在の東京医科歯科大学付近)に遷座されましたが、5代将軍徳川綱吉がその地に「湯島聖堂」や「昌平坂学問所」を設立するにあたり、元禄4(1691年)に現在の地に再び遷座されました。

社号に桜という文字が使われている理由は、道真が太宰権帥として九州に向かう際に桜の樹を刻んで形見にしたからという説と、最初の遷座地であった湯島に桜の樹がたくさん植えられていたからという2つの説があるようですが、それにちなんだ桜を模した御朱印帳や絵馬が特徴的な神社です。

「サ・ク・ラ・サ・ク、櫻木神社」というキャッチコピーがあり、合格祈願にふさわしい神社と言えるでしょう。
櫻木神社のアイドル
境内、手水舎の向かいには小さなケージが。ここではウッコちゃんという烏骨鶏が飼育されています。

菅原道真の使いとされる動物は一般的に牛を指すので、なぜ烏骨鶏が飼われているのかは分かりませんが、現在、櫻木神社のアイドルとして人気を集めています。拝殿前にはウッコちゃんのポストカードが置いてあります。記念にいかがですか。

櫻木神社

④根津神社

東京十社にも数えられている根津神社の起源は非常に古く、景行天皇の時代(71~130年)に日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が創祀したのが始まりと言われています。その後は、江戸城を築城した太田道灌が櫻木神社と同じ文明年間に社殿を奉献。現在の社殿が建てられたのは、宝永3(1706)年のことで、5代将軍徳川綱吉が兄である綱重の息子、家宣を養嗣子(ようしし:家督を相続する養子)として迎えたことを機に全国の大名たちに造営の命が出されました。

本殿と拝殿を石畳によって繋ぐ権現造という建築様式によって設計された7,000坪にも及ぶ境内は壮麗そのもので、奥ゆかしく神秘的な雰囲気は夏目漱石や森鴎外、司馬遼太郎といった文化人にも愛されてきました。境内にある建物は、全て当時に建てられたものが現存していて、これは都内で唯一で、国の重要文化財に指定されています。

御祭神

須佐之男命(スサノヲノミコト):豊穣神・防災除疫の神・歌人の神・冥府の神・荒ぶる神の祖
大山咋命(オオヤマクイノミコト):農耕・産業の神
誉田別命(ホンダワケノミコト):勝運の神
大国主命(オオクニヌシノミコト):縁結び・国造りの神
菅原道真:学問・至誠の神
つつじ苑
境内の西側には2,000坪の面積を誇るつつじ苑があり、約100種類、3,000株のつつじが植えられています。つつじの見ごろは4月中旬から5月にかけて。この頃に行われる「つつじまつり」では甘酒の茶屋や植木市、露店が並びます。

つつじ苑の隣には、乙女稲荷神社や駒込稲荷神社に続く千本鳥居が並んでいます。この鳥居は、邪気を払うスポットとして人気です。
乙女稲荷神社 / 駒込稲荷神社
根津神社の境内には、乙女稲荷神社・駒込稲荷神社という縁結びのご利益で知られる神社があります。

乙女稲荷神社という命名は、社殿の奥にある風穴を女性の象徴として、日本神話の女神である倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)を祀ったことから。また、かつて根津神社の門前には遊郭があり、そこで働く女性たちがこぞって参拝したそうです。池にせり出すように造られた社殿はとても良い景観です。

駒込稲荷神社は、縁結びに加えて邪気払いのご利益もあります。お稲荷様の他にも縁結びの夫婦神である伊邪那岐命(イザナギノミコト)と伊邪那美命(イザナミノミコト)などが祀られています。こちらは徳川綱重の邸宅内にあった社で、乙女稲荷神社とは対照的に厳かな造りとなっています。
例大祭
神社では1年を通して多くの祭祀(さいし)が行われており、その規模はさまざまです。365日、ほぼ毎日何かしらのお祭りが行われているとも言われています。

その中でも一番重要なお祭りが例大祭(例祭)で、根津神社の場合は9月21日の前後と定められています。江戸三大祭りの一つに数えられ、300年以上も続く歴史的な祭祀です。神輿や伝統芸能の舞が披露されたりと催しも豊富で、出店も多く賑わいます。2日間の開催で毎年3万人にも及ぶ来場者があるそうです。

4年に1度、「神幸祭」という本祭りが行われ、6代将軍徳川家宣が奉納した特別な神輿を拝むことができます。

根津神社

⑤湯島天満宮

創建されたのは雄略2(458)年と伝わり、湯島天神の通称で知られています。学問の神である菅原道真が祀られていることから大学受験や資格試験の合格祈願で多くの参拝者が訪れる神社です。

雄略天皇が自ら勅命を出し、力の神・勝運の神である天之手力雄命(アメノタヂカラヲノミコト)を祀りました。天之手力雄命は、天岩戸に引きこもってしまったアマテラスを引きずり出した神様です。菅原道真が合祀されたのはそれから約1000年後、正平10(1355)年のことで、近隣の住民の希望によるものでした。

道真は平安時代に活躍した貴族であり、学者や詩人、政治家としての顔もありました。右大臣まで上り詰めましたが、当時の左大臣であった藤原時平の陰謀により太宰府へ左遷され、そこで生涯を終えます。延喜3(903)年のことでした。道真の死後、天変地異や伝染病の流行、彼と関わりのあった人々が次々と亡くなるなどの怪異が続きます。それらは怨霊となった道真によるものではないかと恐れられるようになりました。

天慶5(942)年、平安京に暮らしていた多治比文子という巫女に乗り移った道真は、「怪異を鎮めてほしければ自分を祀って霊を慰めるように」と託宣を下します。朝廷はこれを認めて京の中に北野天満宮を創建したのです。北野天満宮は学問に長けていた菅原一族が管理を行い、やがて朝廷の保護のもと発展。怨霊から一転、詩文の神へと認知されるように。やがて学問の神へと神格化されました。
梅園
太宰府に流されてから、道真は京都の自宅に咲いている梅を想い「東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ(梅の花よ、春風が吹いたら匂いを寄越してくれ。主人が不在でも春を忘れるな)」という和歌を詠みました。すると梅はその返答として、一晩で太宰府まで飛んでいったという伝説が伝えられています。

この伝説によって、梅は道真とゆかりの深い木と言われるようになり、道真を祀った天満宮の境内には梅が植えられるようになりました。湯島天満宮の梅は、白梅を中心に約300本ほど。毎年2月中旬から3月上旬にかけて、馥郁とした香りを放ちます。
宝くじ発展の場
江戸時代初期、摂津国(大阪府)にある瀧安寺で福をもたらすお守りを授ける「富くじ」というものが行われ、これが現在の宝くじのルーツと言われています。この人気はすぐに江戸にも広まりましたが、ギャンブルという意味合いが強かったために当時の将軍徳川綱吉はこれを禁じました。

しかし、幕府の財政悪化により寺社仏閣の修繕費用を捻出することが困難になると、対策として富くじを公認。その利益で修繕費用を賄わせようという方針に転換したのです。

富くじを発行する寺社として、江戸城下では湯島天満宮、目黒の龍泉寺、江戸川の天王寺の3ヶ所が指定されます。この3寺社は、「江戸の三富」と呼ばれました。当時の富くじの熱狂は凄まじいものだったそうです。

湯島天満宮

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いかがでしたでしょうか?
私は歴史好きなので、この記事を書くときテンションが上がりました。自分が生まれる遥か昔の建物が残っていて、そこには日本を動かしてきた偉人が関わっていたのだ……。そう考えるだけでワクワクしてくるのです!
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